「運命は変えられるのか?」ー人生はなるようにしかならないのか?
先ほど
米俳優のネルサンエルス氏(39),山口美江さん、早乙女愛さん、林隆三さん、白川由美さんが亡くなられたニュースが入りました。
ご冥福をお祈りいたします。
「あんなに元気だったのに!」
「人の命のはかなさ」を覚えるのは私だけでしょうか?
さてここで「人間の運命」について考えてみましょう。
運命について考えてみましょう。
いったい我々の人生は変えられるのでしょうか?
【運命の仕組みとは?】
「人間には運命が在る」と言われていますが、一体どのような
しくみというか構造になっているのでしょうか?
そして、このブログでも書いているように本当に努力で運命は変えられるのでしょうか?
それとも,,運命は変えがたいのでしょうか?
それともやはり努力で誰でも変えられるのでしょうか?
今回はこれについて、皆さんと一緒に少し深く考えてみましょう!
【運命は変えられないとした場合の矛盾点は?】
宿命というか、業の深さというか、確かに、人間の運命は、ある程度、既に決まっていて、
そう簡単には変えられない部分もあるに違いないでしょう。
しかし、本人の自由意志というか、その個人の意思による裁量というのか、
「ある程度、変更をまかされている部分も相当あるのでは」と思います。
その裁量の容量というか大きさは、個人によって相当な差があるのは
否めないでしょうけれども。その意味で全く変更は効かないということは
ないと考えます。
【我々の運命を形作っているのはそもそも何か?】
先ず初めの一つは、「生まれてくる以前に、自分が立てた計画のような
ものがあるのではないか?」ということを最近感じます。
まあ、一般的にはこの世的な、「本人が持って生まれた運勢・運気」というか
生れ星のようなものもありますね。
つまり、その人の代々の家系や家柄とか血筋。あるいは,各個人が生まれた時間や出生地などから決定される運期・運勢のようなものがありますね。
例えば、生命のバイオリズムや血液型、西洋占星術、四柱推命や九星などで示される
それぞれ各個人の運気や運勢の強・弱などもデータなどがその代表です。
それを強く否定はしません。
それでもやはり、それを魂の傾向性と捉え直し、反省によって修正していくと
どうでしょうか?
性格的な癖というか、性癖というのか、生まれつきの体質や性格や
個性がありますからね。
【生まれてくる以前に自分が立てた計画があるのか?】
これは、人間は転生輪廻していて
例えば前世があり、今世で、前世に犯した罪などを
消していくための修行の場として捉えるというのはどうでしょうか?
また、来世はこの世でなした悪業を修正するためにある
という考えも成り立つでしょうね。
2番目は、この世に生まれてこれまでの、本人の努力ですね。
仕事について改善していったり、より収入が入るような工夫ですね。
3つ目は、霊的な作用というか影響ですね。
本人を守護している霊的な存在ー守護霊というやつです。
仕事上に特に影響を与える指導霊などですね。
有名な指揮者の佐渡裕氏も以前「オーラの泉」というテレビ番組で
この守護霊やオーラのことを語っていました。
ご覧になった方もいるでしょう。
普通の人が、指揮者なんて、「自分で指揮者にあるんだ!」と宣言して
音大を卒業してもなかなか、オケからの引き(招待)がなければなれないでしょう!
自分一人では音楽をつくれない=音を出さないからなんですね。
野球も同じです。
「僕はイチロー選手のようにアメリカへ行って、大リーガーに入って、1億稼ぐ選手になるんだ!」と宣言し、決意しても、そう簡単になれるものではないでしょう!
やはりその人、その人の守護霊の働きや周囲の人から好かれるオーラというか
精神的な、波動がありますからね。
まあこれらはプラスの作用の働きをしますが、
マイナスの影響も受けるわけです。
それが、悪霊なんですね。
所謂、霊的な障害というか、霊的に障りがあるということ。
これって憑依霊なんですね。
結構これが根が深くて影響を受けている方も多いようです。
このように、人間には3つの影響を受けながら
この世に魂修行のために生まれてくるのではないか?
ということです。
人間は誰しも「不幸を極力避けたい」傾向性があり、
どのようなときに、占いに行くかというと、悩みのなかにいる時、
結婚・離婚、病気・ケガ、事故・受験、失業・倒産寸前など本人が抱えきれない
重荷で行き詰っている状態の時ですね。
如何すれば今の現状を乗り越えられるのかが分からないときなどは、
その道の専門家やより高度な認識ができる人物に相談に行きたいわけです。
次回は「運命を開くためのには何をどうすればいいのか」について書いていきます。
お楽しみに。
死んでいたのに冬中残飯を与え続けたら、生き返りました!
運命が努力によって完全に変わったのです!
(枯れていた紫陽花も、もう一つの花をさかせくれるようです)